古代の時代から、人間は自然とともに生きてきました。
古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていました。
このような自然信仰の考え方を「アミニズム」といい、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていきます。
そして、祭りのたびに、神様をお招きすることで、神様が山や木、岩に宿り、
それが依代(よりしろ)となると考えられてきました。
神様が降臨し、依代に神が宿ることで、その場所は聖地となる。
これこそが、神社の起源であると考えられてきたのです。
今回は、聖地には欠かせない「依代」(よりしろ)について、考えていきます。
山を神様として考えた聖域「神奈備」
神道において、神が宿る依代を擁している森など、
その領域のことを「神奈備」(かむなび・かんなび・かみなび)といいます。
そして、「神代」(かみしろ)として自然環境をご神体とするものも神奈備であり、ここでいう自然環境とは、山のことです。
日本では、古来から山岳信仰という言葉があるように、山をご神体として信仰を深めてきた痕跡が地方でいくつも確認され、今もその姿を残しています。
山の中でも、特に神は籠る聖地として相応しい山々は、信仰の対象として人々から愛されてきたのです。
代表的な山といえば、富士山。
そして、奈良県の三輪山などがあります。
神様が降臨する場所と考えられた「磐座」
山の次は、岩です。
昔から、石や岩は神様が降臨する依代として考えられてきました。
その依代となった岩のことを磐座(いわくら)といいます。
磐座は、岩石が扁平で、神座にふさわしいような形のものを指すといわれています。
また、同じく岩を依代とした磐境(いわさか)という言葉もありますが、磐境は神域を分けるために使われています。
他にも、巨大な「巨石」から小ぶりなもの、変わった形をした「奇石」など種類は様々ですが、今もそれらが数多く残されていることで、私たちは古代からの神様のメッセージを受け取ることもできるのです。
神様が宿る「磐座」と、その神様の領域を分ける「磐境」の違いを知ると、岩や石には様々な使い方があることまで、教えてくれているのがわかります。古代の人はちゃんと、石や岩は間違えた使い方をしてはいけないものだと認識し、それらをしっかり使いこなしていたのではないでしょうか。
氣の流れをコントロールする案内役「神籬」
最後は、木です。
神様が宿る木は、「神籬」(ひもろぎ)といいます。
磐座が「神様が宿る場所」だと考えると、神籬は「神様が宿る場所だと教えてくれる案内板」のようなものだと考えると、わかりやすいかもしれません。
自然の栄養素(氣)をいっぱい吸い込み、成長することで天に向かって大きく伸びる木は、神様を導くものとして信仰されてきたのです。
成長すればするほど、木はどんどん高くなり、そして太くなり年輪を重ねていきます。
人々は、それらを生命力の象徴だと捉えるようになりました。
天に向かってどんどん成長する木は、天と地をつなぐ柱でもあると考えられていました。
その柱が神籬であり、今でも地鎮祭などでは神籬を祭壇として設置し、祈願を行っています。
依代を、探すだけでも面白い!
ここでは、神奈備・磐座・神籬について書きましたが、
自然信仰の名残として残る依代を探すだけでも、神社参拝はもっと面白くなります。
日本の神社では、山・岩(石)・木の他にも、いろいろな依代を見ることができます。
そして、山の雰囲気、いろいろなサイズや形の岩、木が植えられている場所や大きさ、さらにその周辺に何があるのかなどをチェックしてみると、これまで以上に楽しい神社参拝になるでしょう。
神社にお参りしたら、神様が祀られている社殿だけではなく、依代も探してみてください。
古代の人々が大事にしてきた自然の魅力を、きっと感じ取ることができると、「あん・はな」は思います。