神様になった!歴史の三英傑たち

  • 2022/11/16
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歴史に名を残す英雄たちは、とても信心深く、現代の人よりも神仏を身近に感じていたかもしれません。

特に、いつ死を迎えるかもわからない、戦ばかりの日々だったという戦国時代。
戦国武将たちは、自分達が信じる神様・仏様を信仰し、願掛けをしながら戦いに挑んでいたことが、多くの史実として残っています。

その中で、人気が高い三英傑、徳川家康・豊臣秀吉・織田信長は、それぞれの信仰観を持ち、死後は「神号」(神様になった際のお名前)を賜ることで、神様として祀られるようになりました。

今回は、そんな神様となった三英傑について、ご紹介したいと思います。

徳川家康は「東照大権現」に

最初にご紹介するのは、江戸幕府初代将軍となった徳川家康です。

征夷大将軍となった際、既に60歳になっていたという家康公。
その頃には、息子で2代将軍となる秀忠、孫で3代将軍となる家光を後継者として考え、既に自分の死後のことも考えていたのかもしれません。

家康公は、駿府でその生涯を閉じます。
そして、家康公が残した遺言により、駿河久能山に葬られます。
しかし、その翌年に下野日光山に遷葬され、神様として祀られることになりました。
この時、朝廷から「東照大権現」の神号を授かったのです。
ちなみに、東照大権現と名付けたのは、家康公に仕えていた南光坊天海だといわれています。

東照大権現をお祀りしている場所といえば、やはり栃木県にある日光東照宮
そして、最初に家康公を埋葬した場所である静岡県にある久能山東照宮です。

ちなみに、東照大権現の「権現」ですが、一説によると「権現」と「明神」で意見が分かれたそうです。天海は「権現」を推していましたが、最終的に秀忠公が「権現」にすると決めたそうです。

どうして、「明神」ではいけなかったのか?
それは、次の神様に関係していると言われています。

豊臣秀吉は「豊国大明神」

次にご紹介するのは、「豊国大明神」です。
これは、家康公より先に天下人となった豊臣秀吉の神号です。
実は、秀吉公が「明神」だったため、家康公は「権現」になったという説が残っているのです。

秀吉公が亡くなった際は、混乱を避けるためにも火葬せず、伏見城内で一定期間安置されていたといわれています。その翌年、遺命により京都東山にある阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されたといいます。

豊国大明神という神号は、豊臣秀吉の名前はもちろんですが、日本神話に登場する日本の古名「豊葦原中津国」が由来となっているといわれています。

京都をはじめ、豊国神社として大阪城内にも祀られるようになったのですが、天下統一を果たした家康公の意向により、豊国大明神の神号は一度剥奪、神社自体も廃絶されたといいます。

家康公にとって、秀吉公の人気や威厳は脅威だったのかもしれません…。

その後、明治時代に明治天皇の勅命によって再興され、現在も豊国大明神として秀吉公ゆかりの地に祀られています。

さて、実は秀吉公は、生前に遺言で自身を「八幡神」として秀吉は奈良県にある東大寺鎮護・手向山八幡宮にならって、自分を新八幡として祀るようにと遺言を残したと言われています。

しかし、新八幡ではなく、豊国大明神として祀られた秀吉公。
どんな思いで、自分を神様として祀るようにと言ったのか…とても気になるところです。

織田信長は「建勲神」に

最後にご紹介するのは、「建勲神」です。
これは、織田信長の神号になります。

織田信長公は、家康&秀吉にとって上司となります。
天下統一目前で、明智光秀に本能寺で討たれてしまいました。

一説では、信長公は神になろうとしていたといわれています。
これは、信長公と懇意にしていた宣教師ルイス・フロイスの証言だといわれており、信長公が本当にそう思っていたかは定かではないそうです。

しかし、結果的に信長公も神様として祀られることになりました。
明治時代、秀吉公が豊国大明神として再興したのと同時期に、同じく明治天皇の勅命によって建勲神として祀られました。これが、京都・船岡山にある建勲神社の創建となったそうです。

このタイミングで神号を賜ることができたのは、信長公が新政府軍に味方したことと、信長公の功績を讃えてのことだったそうです。

信長公は、神道も仏教も信じない無神論者だったという人もいます。
しかし、信長公が築いた安土城には、自らが菩提寺として他所から移築してきた摠見寺がありました。
また、信長公が熱田神宮で必勝祈願をしたという話も残っているそうなので、無神論者だと言い切るのも難しいのではないかと思います。

建勲神として船岡山に祀られている信長公は、家康公や秀吉公のように、遺言が残っていたわけではありません。神様となって嬉しかったのか、不本意だったのか。こちらも気になるところです。

神様になった歴史人たちから学ぶこと

今回は、神様として祀られている三英傑についてまとめてみました。

「あん・はな」は、ここでご紹介した神様たちは、もちろんお参りさせていただいたことがあります。でも、一つひとつ追っていくごとに、またお参りに行きたくなりました。

天下人となると、やはり自分の死後のことまで考えているんだなぁという率直な感想。
そして、志半ばで命を落とした信長公のように、どのような信仰心があったのかがわからないくらい史実によってイメージが付いてしまっているのも、何だか歴史の奥深さを感じます。

どんな思いがあったにしても、今の日本を築いたと言っても過言ではない三英傑をお参りすることで、きっと学ぶことは多々あるはず。「あん・はな」は、そう考えています。

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