春が来る!神社仏閣で「春の花」を愛でよう!
- 2022/3/1
- あんはな文庫
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季節によって、四季折々の美しさを見せてくれる自然の風景。
その風景の中に華やかさを一気にプラスしてくれる春の花。
神社やお寺でも、春に見頃を迎えるさまざまな花が咲きます。
「花の名所」として有名な場所もあれば、境内にひっそりと咲く花もあり。
今回は、そんな美しい春の花にまつわる伝統文化についてご紹介します。
日本の春の訪れを告げる、「梅」と天神様の関係
年が明け、1月から3月にかけて見頃を迎える「梅」。
寒い季節であっても懸命に咲き、春の訪れを教えてくれる気高くも可愛らしい花を咲かせます。
日本には、8世紀頃に中国から伝わったという言い伝えがあり、
天神様として日本全国に祀られている菅原道真公も梅を好んだといわれています。
そのため、天満宮や天神社など、道真公をご祭神として祀る神社では、梅のご神紋が使われています。
何故、ここまで道真公と梅の花は縁の深いものとして語り継がれてきたのか。
そこには、とても不思議な「飛梅伝説」が関係しています。
平安時代、政争に敗れた道真公は、大宰府(九州地方にある地方行政機関で、所在地は現在の福岡県)へ左遷されることになります。
そこで、自分の屋敷内にあった3本の木(梅・松・桜)との別れを惜しみます。
木々は悲しみ、桜はその悲しさから枯れてしまいます。
しかし、松と梅は、道真公への強い思いから空を飛んでいきます。
途中、松の木は力尽きてしまいますが、梅の木だけは大宰府まで飛んできたとか来ないとか…。
厳しい状況の中でも、誇り高く咲く梅。
そのような花だからこそ、美しく強い花として、語り継がれる伝説の花となれたのかもしれません。
強く生き、儚く散った、「桜」の女神様
春のお花見といえば、やっぱり「桜」。
桜の花を眺めていると、心を華やかにしてくれるだけではなく、時には儚さや悲しい気持ちになることもあって、不思議な魅力を持つ花だと感じます。
そんな桜のような美しさを象徴し、桜の女神様として古から信仰されてきたのが、
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。
木花咲耶姫は、国つ神のトップである大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘。
神話では、花のように美しい女神様として描かれています。
降臨した天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)は、その美しさに心奪われ、2人は結婚します。
しかし、一度きりの契りで身籠った木花咲耶姫を、邇邇芸命は自分以外の神様(国つ神)の子を宿したのではないかと疑ってしまうのです。
そこで、木花咲耶姫は産屋に火を放ち、もし本当に自分のお腹の子が国つ神の子であれば生まれてこないと強く語り、三柱の神様を生みます。
そして、孫の誕生を喜んだ大山津見神は、木花咲耶姫に富士山を与えたという言い伝えがあり、
木花咲耶姫は、今も富士山を守る神様として、全国の浅間大社に祀られています。
美しい桜が、時折悲しく見えてしまうのは、
その強さゆえに儚く散っていった木花咲耶姫の物語が、日本人の心に根付いているからかもしれません。
藤原家の栄華を表す、吉兆の紋章「藤」
最後にご紹介するのは、
4月~6月に見頃を迎える「藤」の花です。
藤の花は、咲く花一つひとつよりも、つるにしっかり巻き付き、たくさんの花房が育つことで、迫力ある美しさを見せてくれる花です。
その豪華絢爛な様子は、まるで平安時代に栄華を極めたという藤原氏のよう。
実際に、平安時代後期には、藤原一門を象徴する花として重宝されていたそうです。
そこからたくさんの模様が生まれ、藤の花房が稲妻に見えることからも、吉兆の象徴として工芸品などに多く使われるようになりました。
戦国時代に豊臣家を支えた軍師・黒田官兵衛。
黒田家の家紋も、藤の花をモチーフにした「藤巴」です。
敵に寝返った荒木村重を説得するため向かった有岡城に、約1年幽閉されていたという黒田官兵衛は、格子から見える藤の花に希望を持ち、ずっと救出を待っていたといわれています。
藤の花が咲いたら、吉兆の証!
神社やお寺の境内で藤の花の見頃に出会えたら、そう信じてみることでもっと楽しくなるかもしれません。
心を動く!春の花に会いに行こう
ここで紹介した花以外にも、春に見頃を迎える花はたくさんあります。
神社やお寺の境内で見ることができる花に出会えた時は、
そこでしか楽しめない風景や、花に出会えた時に感じる心の動きに、注目してみてください。
春の訪れを、もっと楽しむ方法。
お花の美しさや可憐に咲き誇る姿は、楽しい春をもっと楽しくする活力を与えてくれるかもしれません。