歴史人に学ぶ、神仏を身近に感じて暮らすこと

昔から、人々は神様や仏様を尊い存在としながらも、もっと身近に感じて暮らしていたのかもしれません。

そう思わせてくれるのが、今の時代まで残っている書物や文化財の数々。
これらは、大切な資料として、さらに歴史を探るヒントとして、いつも私たちを楽しませてくれています。

現代でも、「仕事がうまくいきますように」「ライバルとの勝負に勝ちたい!」と思ったら、神社に必勝祈願をします。それは、昔の人たちも同じでした。

有名な歴史人たちによる神社参拝も、その一つ。
歴史に名を遺すような人たちは、どのように神仏と向き合っていたのでしょうか。

今回は、そんな歴史人が実践していた「神仏と身近に暮らす」ことについて、考えてきたいと思います。

天下統一を目指した源頼朝の「三社詣」

鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝


信仰が厚く、積極的に神社への参拝をしていたことでも有名です。

そんな頼朝公が行っていたというのが「三社詣」(さんしゃもうで)

天下統一を目指し、見事その夢を勝ち取った頼朝公。
源義朝の三男として生まれ、平治の乱の後には伊豆に配流となるなど、不遇の時代も送っています。

その頃は、もう神様にすがる思いだったのかもしれませんし、それが頼朝公の信仰心を育てのかもしれません。
そんな天下統一がまだまだ見えない時代から、頼朝公とのゆかりが深かったといわれているのが、三嶋大社(静岡県三島市)、伊豆山神社(静岡県熱海市)、箱根神社(神奈川県箱根町)です。

天下統一を果たし、将軍になった後もこの三社を崇敬して参拝し、そこから歴代の将軍たちも同じように三社詣を行ったといいます。

そして、頼朝公が作った鎌倉幕府が政権を握った鎌倉時代は、約150年も続くことになるのです。

頼朝公の三社詣は、現代でも人気の参拝コースとなっています。
特に、会社経営をしている方が三社詣を希望するケースが多いようですが、武家の棟梁として各地の武士団をまとめあげていったリーダーシップに惹かれ、三社詣をする自分と頼朝公を重ね合わせることで、成功のイメージトレーニングになっているのかもしれませんね。

神様を味方につける!? 徳川家康の信仰心

天下統一という意味では、この人も負けてはいません。

江戸幕府・初代将軍である徳川家康

家康公は、江戸城の築城に風水を取り入れ、さらに自分が亡くなった後もその亡骸を東照大権現として祀られるなど、神様を身近に感じ、さらにその力をうまく活用していた武将と言っても過言ではありません。
家康公の、その信仰の深さは、どこからきたものなのでしょうか。

そのルーツは、やはり家康公が生まれた三河の国(今の愛知県)にあるのかもしれません。

家康公は、三河国の土豪であった松平氏の家に生まれます。
そして、幼い頃から織田家・今川家で人質として過ごしていました。

転機は、織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦い。
この戦いの後、家康公は今川氏からの独立を果たし、三河国を平定。同時に、遠江国(今の静岡県)へと版図を拡大していくのです。

愛知県や静岡県には、神社やお寺をはじめ、パワースポットと呼ばれる場所が今もたくさんあります。
そんな場所で生まれて過ごした家康公は、もしかしたら誰よりも、目に見えない力を信じていた人なのかもしれません。それだけ、家康公の信仰に関する言い伝えや伝説が数多く残っているのです。


家康公が、自らの亡骸を埋葬するようにと命じていたと伝わる久能山東照宮(静岡市駿河区)をはじめ、家康公が再建したといわれる滝山寺の裏にある日吉山王社(愛知県岡崎市)、関ヶ原の戦いの幕開けともなった会津の上杉征伐の前に立ち寄り、その後も徳川家との縁が続いたという竹島・八百富神社(愛知県蒲郡市)、同じく関ヶ原の戦いで西に進軍する前に参拝したという石刀神社(愛知県一宮市)などがあります。探し出したら、キリがない!(笑)

戦いの前の参拝・祈願はもちろん、神社の創建・再建にも積極的だった家康公。
神様の力を信じ、その力を味方につけたことで、天下統一かつ約260年も続く江戸幕府を実現させたのかもしれませんね。

信じる者は、救われる…まさに、そのことを証明した人のような気がします。

「愛」に生きた男が大切にした天への崇敬

さて、最後に取り上げるのは、徳川家康公が築いた江戸幕府の最後にゆかりの深い人。

幕末から明治という激動の中を全力で生きた薩摩藩士・西郷隆盛

倒幕運動の指導者となり、新しい時代の幕開けを迎えますが、西南戦争で敗れて自刃により命を落とすという激動の人生を生き抜いた方です。その生涯がドラマ化されたのも、記憶に新しいところ。

「敬天愛人」という言葉を残した西郷さん。

この言葉は、「天を敬い人を愛する」という意味で、もう生き方そのものが信仰心の塊のようなお方です。

西郷さんは、一方で「キリスト教の影響を受けていたのではないか」ともいわれていますが、息子である菊次郎氏の証言では、特別に宗教を崇拝していたわけではなかったものの、家は元々神道の流れであったとのこと。
鹿児島は、廃仏毀釈の動きが激しい地域でもあったので、寺院がほとんどない環境だったことも推測できます。

また、家族の中でも敬神の念が強かったという隆盛さんは、尊崇していた先祖のお墓参りを欠かさなかったそうで、特にお墓の掃除に関してはこだわっていたようです。これ、大事ですよね!

先祖を愛し、天から授かった自分の命と向き合い続けた西郷さん。
生涯の中で、奄美大島をはじめ、自然豊かな島々で過ごした時間もあったようですが、その自然の中で人が生きることの真理を見つけていたのかもしれません。

西郷さんが参拝した神社ではありませんが、
現在は、鹿児島市にある南州神社(鹿児島市上竜尾町)に、西南戦争における戦没者の方たちと一緒に祀られているそうです。

歴史人の信仰から、学ぶべきこと

簡単にではありますが、源頼朝・徳川家康・西郷隆盛と、3人の信仰について見てきました。

その中で感じたのは、信仰の心というのは、どのような家に生まれ、どのように育ち、どのような経験をしたか。
もちろん時代や環境も違いますし、さらにどんな学びを得たかによっても違ってくるものです。

しかし、共通して大事なことだと思ったのは、信じるか信じないか、何を信じれば自分が強くなれるのか。

最初は、ただ何かにすがりたい、依存するだけなのかもしれません。
そこから自分を奮い立たせ、人間性をも成長させてくれる何かと出会った時、それが「神様」として自分の中に姿を現してくれた時、人は不安にも負けず、無敵になれるのかもしれません!
そして、その神様と出会うきっかけを与えてくれる場所が、神社・お寺、そしてご先祖様が眠るお墓なのではないでしょうか。

神社やお寺にある「パワースポット」は、神仏を身近に感じて強くなった自分となって初めて活用できるのだと「あん・はな」は考えています。


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